映画ブレードランナー2049と時代背景(ネタバレほぼ無)
興行収入がひたすら悪い?ブレードランナー2049
リドリースコットのブレードランナーというと1982年公開のマニア絶賛の映画の続編。今(2017年10月31日現在)ブレードランナーのオリジナル版はHULU(フールー)で3本立てで見られる。映画を見に行こうと思っている人には是非前作と下記ユーチューブを見てから行って欲しいです。。
やはり20世紀の後半はまだ夢が有った時代だと。。。。
ベトナム戦争も終わり、アメリカが敗戦。
日本は経済成長まっしぐら、世界的に共産主義と資本主義競争の真っ最中の中若者たちにはまだ希望が有った。苦難の時代の方がまだ希望があるのかもしれない
いわゆるサイエンス・フィクションが流行ったのはそういった背景が有ったと思う。スタンリー・キューブリックの2001年宇宙の旅は1968年。スピルバーグのETも1982年公開。ジョブスが出てきたのも70年代から80年代なのでいわゆる想像力の芽はその頃花開いたと思っている。
それらはビートルズの音楽が文化やサイエンスにも大きく影響したと思う。
日本だと眉をしかめる人も多いと思うがビートルズは完全にドラッグミュージックで、ドラッグ無しにビートルズの音楽は誕生していない。それが世界中を席巻し新しい感覚というのが生まれたのが1970年代だった。
原題の小説:Do Androids Dream of Electric Sheep?
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
このタイトルの意味もまた深い。
これも多分にドラッグ的影響を受けている感じがある。
映画にもその感覚野が注入されている。
ブレードランナーはヴァンゲリスのシンセサイザーの音と、遠景から撮ったタイレル社。に炎が立ち上る。
レプリカントという人間っぽいいわゆるクローン人間みたいな人間だけど4年しか寿命が無い。そのレプリカントの方が仲間を思い、人間よりも人間らしいという、「一体人間とは何物なのだ?」「自分とは一体何者なのだ?」という深いテーマが当時の若者達に受けたのだと思う。
ギズモードジャパンさんの記事はネタバレ有りとの事なので見てから読んでね。
現実を見ると世界中どこも行き詰まっている。
アメリカはトランプ大統領が誕生。
いわゆるオバマ民主党の表面的理想主義が否定された。
ヨーロッパはテロの恐怖。
資本主義は格差がひどく、一部の金持ちは潤っているが、ほぼ皆、馬車馬のように働き税金の搾取に疲れきっている。
1980年台、共産主義は一部の国を除き崩壊し、民主主義になれば平和になるんだ!
と人類は希望に燃えたが、それもまやかしで、結局人間は権力闘争に明け暮れ、失望へと変わった。
2017年「自分とは一体何者なのだ?」と問うのでは無く、「自分は自分」と居直っているように見える。皆、自分を問うのでは無く、自分という存在を絶対視し、SNSで自分の充実度を誇り、人の評価をより高めようと努力する。。。
結局、金の魔力に人類は吸い寄せられ、創造性や、幸福の追求よりも金という最も危険な魔力に取り憑かれてしまった後のブレードランナー公開という事になろう。だから興行収入が悪いのだと思う。
時代背景が全く違う。
今の方が世界を見てひどいはひどいが昔よりかは良い?と思う。
しかし戦争は終わらないし、紛争も終わらない。絶対権力者のサダム・フセインやカダフィーとかが排除されたら、今度はISとかが出てきて、北朝鮮はミサイルを打ちまくっている。中国は金まみれで、自尊心を復活させようとしているが、自由も無いし、情報は操作されている。そんな中国の金に群がる国もいる。日本の一部勢力も同様だ。
今の時代は全く夢が無いつまらん時代だ。。。。。。。。
ブレードランナー2049は非常に面白い映画だし、製作している人々がリドリースコットに対する敬意やオリジナルブレードランナーに対する尊敬の念が随所に見られる。
ただ、最後エンドロールまで見終わり、これはまたマニアにうける映画になるんだろうなぁと思いながら席を立った。
実は今日は4DMAXという雨が降ったり、風が吹いたり、座席が動くバージョンの映画を見た。 ところがいきなり日本語が出てきて嫌な予感がしたのだが案の定日本語だった。。。。。
再度字幕バージョンをやはりまた見に行かないかん。。。。と。。思っている。
ただ日本人としてありがたいのは随所にまだ日本的なものを残していくれているというところがある。
それがこの映画のほのかなるスパイスになっているところがおもしろかった。
やっぱり人間とは何か?という問いに対する興味は尽きない。。。。
やはり文化的栄養をたまには脳にぶち込まないと酸欠状態になる。
自分というこの奇妙な内在した空間と外界との境界線。
自分というこの奇妙な存在は外界との接点の中で絶え間ない相互作用を産んでいる。
不思議な感覚だ。しかし、この不思議な感覚こそが生きているという実感に他ならない。
ブレードランナーという映画はやはり何度も見ても人間とはなんぞやという深みにはまる。
そしてまた人間の未来がブレードランナー化するであろう未来も見せてくれる。
アンドロイドは電気羊の夢を見るのでは無く、人間はアンドロイドの夢を見るか?という事だ。
ブレードランナーはサイエンス・フィクションではあるが常にそのテーマは人間とは何かという事が貫かれている。
そして人間とアンドロイドの境界が未来では曖昧になっていく。この映画はまさにそれを表している。
(記事 ネットフロイド株式会社)
渡辺信一郎監督による前奏アニメ
【『ブレードランナー 2049』の前日譚】「2048:ノーウェア・トゥ・ラン」
【『ブレードランナー 2049』の前日譚】「2036:ネクサス・ドーン」
【『ブレードランナー 2049』の前日譚】「2048:ノーウェア・トゥ・ラン」
【『ブレードランナー 2049』の前日譚】「2036:ネクサス・ドーン」
1982年と2017年という時代の違い
やはり20世紀の後半はまだ夢が有った時代だと。。。。
ベトナム戦争も終わり、アメリカが敗戦。
日本は経済成長まっしぐら、世界的に共産主義と資本主義競争の真っ最中の中若者たちにはまだ希望が有った。苦難の時代の方がまだ希望があるのかもしれない
いわゆるサイエンス・フィクションが流行ったのはそういった背景が有ったと思う。スタンリー・キューブリックの2001年宇宙の旅は1968年。スピルバーグのETも1982年公開。ジョブスが出てきたのも70年代から80年代なのでいわゆる想像力の芽はその頃花開いたと思っている。
それらはビートルズの音楽が文化やサイエンスにも大きく影響したと思う。
日本だと眉をしかめる人も多いと思うがビートルズは完全にドラッグミュージックで、ドラッグ無しにビートルズの音楽は誕生していない。それが世界中を席巻し新しい感覚というのが生まれたのが1970年代だった。
原題の小説:Do Androids Dream of Electric Sheep?
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
このタイトルの意味もまた深い。
これも多分にドラッグ的影響を受けている感じがある。
映画にもその感覚野が注入されている。
ブレードランナーはヴァンゲリスのシンセサイザーの音と、遠景から撮ったタイレル社。に炎が立ち上る。
レプリカントという人間っぽいいわゆるクローン人間みたいな人間だけど4年しか寿命が無い。そのレプリカントの方が仲間を思い、人間よりも人間らしいという、「一体人間とは何物なのだ?」「自分とは一体何者なのだ?」という深いテーマが当時の若者達に受けたのだと思う。
ブレードランナー2049と2017年という現代
ひるがえって今の時代。。。。。まず夢が無い。。。。。ギズモードジャパンさんの記事はネタバレ有りとの事なので見てから読んでね。
もう見た?
— ギズモード・ジャパン (@gizmodojapan) 2017年10月30日
映画『ブレードランナー2049』ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督にインタビュー:「観客は可能な限り内容を知らずに観て欲しい」 https://t.co/gTx3786Z3V
現実を見ると世界中どこも行き詰まっている。
アメリカはトランプ大統領が誕生。
いわゆるオバマ民主党の表面的理想主義が否定された。
ヨーロッパはテロの恐怖。
資本主義は格差がひどく、一部の金持ちは潤っているが、ほぼ皆、馬車馬のように働き税金の搾取に疲れきっている。
1980年台、共産主義は一部の国を除き崩壊し、民主主義になれば平和になるんだ!
と人類は希望に燃えたが、それもまやかしで、結局人間は権力闘争に明け暮れ、失望へと変わった。
2017年「自分とは一体何者なのだ?」と問うのでは無く、「自分は自分」と居直っているように見える。皆、自分を問うのでは無く、自分という存在を絶対視し、SNSで自分の充実度を誇り、人の評価をより高めようと努力する。。。
結局、金の魔力に人類は吸い寄せられ、創造性や、幸福の追求よりも金という最も危険な魔力に取り憑かれてしまった後のブレードランナー公開という事になろう。だから興行収入が悪いのだと思う。
時代背景が全く違う。
今の方が世界を見てひどいはひどいが昔よりかは良い?と思う。
しかし戦争は終わらないし、紛争も終わらない。絶対権力者のサダム・フセインやカダフィーとかが排除されたら、今度はISとかが出てきて、北朝鮮はミサイルを打ちまくっている。中国は金まみれで、自尊心を復活させようとしているが、自由も無いし、情報は操作されている。そんな中国の金に群がる国もいる。日本の一部勢力も同様だ。
今の時代は全く夢が無いつまらん時代だ。。。。。。。。
ブレードランナー2049は非常に面白い映画だし、製作している人々がリドリースコットに対する敬意やオリジナルブレードランナーに対する尊敬の念が随所に見られる。
ただ、最後エンドロールまで見終わり、これはまたマニアにうける映画になるんだろうなぁと思いながら席を立った。
実は今日は4DMAXという雨が降ったり、風が吹いたり、座席が動くバージョンの映画を見た。 ところがいきなり日本語が出てきて嫌な予感がしたのだが案の定日本語だった。。。。。
再度字幕バージョンをやはりまた見に行かないかん。。。。と。。思っている。
ただ日本人としてありがたいのは随所にまだ日本的なものを残していくれているというところがある。
それがこの映画のほのかなるスパイスになっているところがおもしろかった。
やっぱり人間とは何か?という問いに対する興味は尽きない。。。。
やはり文化的栄養をたまには脳にぶち込まないと酸欠状態になる。
自分というこの奇妙な内在した空間と外界との境界線。
自分というこの奇妙な存在は外界との接点の中で絶え間ない相互作用を産んでいる。
不思議な感覚だ。しかし、この不思議な感覚こそが生きているという実感に他ならない。
ブレードランナーという映画はやはり何度も見ても人間とはなんぞやという深みにはまる。
そしてまた人間の未来がブレードランナー化するであろう未来も見せてくれる。
アンドロイドは電気羊の夢を見るのでは無く、人間はアンドロイドの夢を見るか?という事だ。
ブレードランナーはサイエンス・フィクションではあるが常にそのテーマは人間とは何かという事が貫かれている。
そして人間とアンドロイドの境界が未来では曖昧になっていく。この映画はまさにそれを表している。
(記事 ネットフロイド株式会社)
投稿日:2017-11-04